レス数が90を超えました。100を超えると書き込めなくなります。

中森明菜

[1] 名前:名無しさん :2019/06/11 (火) 22:15:47 No.2838
2838.jpg (490KB)
94年7月5日発行の、ビッグアイドル・オンパレード(近代映画社)から、
本編の1ページ目です。
80年代アイドルでは、聖子・明菜・キョンキョンの3人の高レベルの争いが、
空前のアイドルブームを引き起こしたと思います。
中でも歌手活動に関しては、80年代に限定すれば、明菜がトップでしょう。
[2] 名前:名無しさん :2019/06/11 (火) 22:18:23 No.2839
2839.jpg (331KB)
2000年4月25日発行の、20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、
中森明菜の1ページ目の右上です。
スレ画と同じカットですが、下にプロフィールが載っています。
[3] 名前:名無しさん :2019/06/11 (火) 22:21:16 No.2840
2840.jpg (317KB)
ビッグアイドル・オンパレードから、水着の1ページ目の上です。

デビュー曲「スローモーション」では、テレビにあまり出ていなかったので、(所属事務所の研音が、
アイドル・プロモーションのノウハウを、あまり知らなかったためかも知れませんが。)
最初は、高樹澪の「ダンスはうまく踊れない」と同じような、ミューミュージック系の
アーティストかと思っていました。そのぐらいいい曲で、歌も最初から上手かったです。

[4] 名前:名無しさん :2019/06/11 (火) 22:24:04 No.2841
2841.jpg (486KB)
ビッグアイドル・オンパレードから、水着の1ページ目の下です。

それが2曲目「少女A」が大ヒットして、キョンキョンと同じスタ誕出身のアイドルである事を、
知りました。その後は、スローバラードと、後期の山口百恵のようなツッパリ系の曲を
交互にリリースし、聖子を超えるほどの大ヒットを連発します。
したり顔の音楽評論家は、百恵はツッパリを演じているだけだか、明菜のツッパリは本物だ。
とか言っていまいたが、それは前期の山口百恵を知っているから言える事です。
マイクを持つ手が震えるほど、歌う時に緊張する明菜が、本物のツッパリとは思えません。
[5] 名前:名無しさん :2019/06/11 (火) 22:28:28 No.2842
2842.jpg (487KB)
ビッグアイドル・オンパレードから、水着の2ページ目です。
見事にクビレたウェストのラインは、アイドル界No.1でしょう。
4歳から10年間続けたクラシック・バレエの賜物だと思います。

花の82年組6人(伊代・キョンキョン・ちえみ・秀美・優・明菜)の中では、
一番遅いデビューでした。
そのためか、82年組の新人が集合するイベントの楽屋では、みんながワーワー騒いでいる中、
全員の靴を綺麗に並べていたそうです。伊代・ちえみ・優が出演した数年前の同窓会番組で、
彼女達が言っていました。明菜がマイクを持つ手が震えているのも、間近で見ていたそうです。
[6] 名前:名無しさん :2019/06/19 (水) 23:12:23 No.2877
2877.jpg (494KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の2ページ目の上です。

伊代・キョンキョン・ちえみ・秀美・優の5人は、楽屋が一緒になると、
仲良くはしゃいでいましたが、はしゃぐのが苦手な明菜は、一人離れていました。
しかし、みんなが何を話しているか気になるので、同じスタ誕出身で、
話しかけやすいキョンキョンに、何を話していたか聞いていたそうです。
(93年の明菜のFM番組に、キョンキョンがゲスト出演した時に、言っていました。)
[7] 名前:名無しさん :2019/06/19 (水) 23:16:00 No.2878
2878.jpg (477KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の2ページ目の下です。
「可憐な中にツッパリを感じさせる今までになかったタイプ」と書いてあります。

スター誕生を4回も受け、テレビ予選まで残ったのが3回。その三回目でようやく合格した明菜。
三回目の時は、既にデビューが決まっているキョンキョンが審査員席の隣で見学していました。
(キョンキョンは、事務所の社長に言われて、毎回スター誕生を見学していたそうです。)
[8] 名前:名無しさん :2019/06/19 (水) 23:18:02 No.2879
2879.jpg (369KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の3ページ目の右上です。

81年12月放送の決戦大会で合格した明菜は、同年3月に合格したキョンキョンと同期デビューし、
「今日子ちゃん」とちゃん付けで言えるとは、思っていなかったそうです。
スター誕生で、審査員席の隣にいた時の印象が強く、「先輩」と言うイメージがあると、
スター誕生の同窓会の時に、言っていました。
[9] 名前:名無しさん :2019/06/19 (水) 23:21:41 No.2880
2880.jpg (478KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の3ページ目の左の2カットです。

明菜とキョンキョンと水谷絵津子は、スター誕生の同期生として、
スタ誕特番で河口湖へ行っています。
(ちなみに、93年のスタ誕の同窓会では、水谷絵津子のお子さんを、二人で可愛がっていました。)
最初はその程度の仲でした。
[10] 名前:名無しさん :2019/06/19 (水) 23:25:54 No.2881
2881.jpg (453KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の3ページ目の下です。
身体を仰け反らせるこのポーズを見ると、9thシングル「十戒 (1984) 」を連想します。

新宿音楽祭で、新人全員が並んでいる時、キョンキョンファンがシブかき隊めがけて投げた生卵が、
運悪く隣にいたキョンキョンの頭にぶつかり、呆然とするキョンキョン。
その時、列の端にいた明菜がキョンキョンのところまで行き、列から離して助けたそうです。
「明菜ちゃんは、なんて優しい人なんだろう。」と思い、それ以来、
明菜とキョンキョンの友情が続いています。80年代は、同じ楽屋になる事が多く、
お互い話をしなくても、鏡越しに目と目で相手の気持ちが分かるほどの親友になりました。
[11] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 22:13:42 No.2913
2913.jpg (354KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の4ページ目の右上です。

生卵事件以来、明菜の優しい心使いを忘れないキョンキョンは、
明菜とマッチの恋の伝書鳩の役も、引き受けていたそうです。
93年には、ドラマスペシャル「瞳に星な女たち」で、初共演も果たしています。
その撮影中、地下鉄の階段を二人で転げ落ちるハプニングがあり、
女優としては先輩格のキョンキョンが、明菜をかばい、頭から血が出る怪我をしました。
[12] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 22:15:33 No.2914
2914.jpg (267KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の4ページ目の左上の2カットです。
赤のチェックの服を着ている、可愛い明菜です。

2004年にキョンキョンが離婚した時は、落胆するキョンキョンを明菜が慰め、
二人で飲み明かしたそうです。競争の激しい芸能界を生き抜いてきた二人は、
戦友とも言える関係になって行きました。
[13] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 22:19:09 No.2915
2915.jpg (277KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の4ページ目の右下の2カットです。

この頃から、スター誕生以外にも、様々なオーディションが増えて行きました。
スター誕生を受けてテレビ予選で落ちるとマイナスイメージになるので、
他のオーディションを目指す娘たちも多くなりました。(石川秀美も、その一人です。)
そんな中で明菜は、スター誕生を4回(1回は1次予選まで、2回はテレビ予選まで)も受け、
4回目に合格しました。子供の頃から歌番組が大好きだったので、
敢えてスター誕生にこだわったのでしょう。
[14] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 22:22:43 No.2916
2916.jpg (406KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の4ページ目の左下です。

そんな子供の頃、テレビの公開番組を見に行った明菜は、
中央のステージで激しく踊る西城秀樹に感激し、
客席から立って歌い始める麻丘めぐみを見て、お人形さんのように可愛っくって細いと、思いました。
そんな原体験があるからこそ、テレビの歌番組であるスター誕生を4回も受けたと思います。
[15] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 22:29:50 No.2917
2917.jpg (393KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の5ページ目の右上の2カットです。
上のジープ(?)に乗っている姿、カッコいいですね。

明菜は、スタ誕のテレビ予選で2度落選していますが、そのどちらかで、審査員の松田トシが、
幼い顔の明菜を見て、「童謡でも歌った方がお似合いなんじゃない」と言われ、
「スター誕生では、童謡は審査の対象外になるんじゃないですか。」と反論します。

[16] 名前:名無しさん :2019/06/27 (木) 22:34:06 No.2918
2918.jpg (269KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の5ページ目の右下です。
笑顔になると可愛い明菜。元々童顔に見えるタイプです。
歌う時は笑顔になると曲のイメージと合わないので、笑顔を封印していたのでしょう。

審査員を睨みつけながら歌ったというキョンキョンとともに、
後に阿久悠が、「我々が生み出したスター誕生のアイドル生産システムに、
二人(明菜・キョンキョン)はサヨナラを言っている。」と振り返っています。
それは、自分に正直に生きる事を指しているだけなのですが、お人形のようなアイドルが理想とされた
80年代初頭のアイドル界においては、ツッパリと見られたのでしょう。
[17] 名前:名無しさん :2019/07/06 (土) 01:02:43 No.2950
2950.jpg (179KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の5ページ目の左上です。

スローバラードと、後期の山口百恵のようなツッパリ系の曲を交互にリリースし、
2曲目以降は、大ヒットを飛ばし続けた明菜。
1曲目「スローモーション 」、3曲目「セカンド・ラブ 」、
5曲目「トワイライト -夕暮れ便り- 」がスローバラードで、
2曲目「少女A 」、4曲目「1⁄2の神話 」、6曲目「禁区 」がツッパリ系の曲でした。
この内「セカンド・ラブ 」は、77万枚を売り上げ、自己最高のヒットになりました。
[18] 名前:名無しさん :2019/07/06 (土) 01:04:43 No.2951
2951.jpg (302KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の5ページ目の左中央です。

ちなみに70〜80年代アイドルは、90年代に入ってからのヒット曲を除くと、
ピンク・レディーの4枚目「渚のシンドバッド」からの5曲と、近藤真彦のデビューシングル
「スニーカーぶる〜す」以外に、ミリオンヒットが出ていません。
中学生・高校生がファン層の主流であるトップアイドルは、ファン層が広がらないため、
50万前後が大ヒットの目安とされています。
ピンク・レディーは、ファン層を小学生にまで広げたので、ミリオンヒットを連発出来ました。
[19] 名前:名無しさん :2019/07/06 (土) 01:12:05 No.2952
2952.jpg (81KB)
↑17の訂正:4曲目「1⁄2の神話 」→「1/2の神話」
(文字化けしていたようです。)

ビッグアイドル・オンパレードの、本編の6ページ目の右上です。

テレビで歌う時の振り付けは、自分で考えていたという明菜。
身体を仰け反らせるポーズは、4歳から10年間続けたクラシック・バレエの賜物でしょう。
(9thシングル「十戒 (1984) 」や17thシングル「TANGO NOIR」で、披露しています。)
83年まで、スローバラードと、ツッパリ系の曲を交互にリリースしていましたが、
84年には、その両者の曲調を見事に融合させ、「北ウイング 」「サザン・ウインド 」
「十戒 (1984) 」「飾りじゃないのよ涙は 」と、大ヒットを連発し、
明菜独自の世界を作って行きました。
その84年から、明菜の曲が好きになりました。
[20] 名前:名無しさん :2019/07/06 (土) 01:15:33 No.2953
2953.jpg (98KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の6ページ目の左下です。

スレ画のコメントで、「聖子・明菜・キョンキョンの3人の高レベルの争いが、
空前のアイドルブームを引き起こしたと思います。」と書きましたが、
それを代表するのが84年です。
明菜だけではなく、キョンキョンも全盛時を迎え、聖子も前年末の勢いを継続しました。
他の82年組のちえみ・秀美・優の3人も、この84年が全盛期でした。
[21] 名前:名無しさん :2019/07/07 (日) 07:18:51 No.2955
2955.jpg (97KB)
>>20
そうですね。
84年頃は、アイドル黄金期って感じでした。
画像は、明菜の絶頂期、84〜85年頃と思われます。ペタリ。
[22] 名前:名無しさん :2019/07/07 (日) 23:40:33 No.2962
2962.jpg (352KB)
>>20
過疎化しているこのサイトへの画像アップとコメント、ありがとうございます。
このサイトは、広告がしつこいので最初は使っていませんでしたが、
使い始めると、結構いい仕様だなと思いました。
画像が先でコメントが後なので、画像だけ見たい人には好都合です。
サムネイル画像も、最初のピックでは画面大の大きさで表示され、
2回目にピックすると、本来の画像の大きさに比例して拡大されるので、
スレを見る人の事を、良く考えている仕様になっています。

画像は、ビッグアイドル・オンパレードの、本編の6ページ目の左上です。
[23] 名前:名無しさん :2019/07/07 (日) 23:52:42 No.2963
>>21
22のアンカーは、21の間違いでした。
[24] 名前:名無しさん :2019/07/13 (土) 23:58:24 No.2989
2989.jpg (441KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の7ページ目の上です。
明菜の括れたウェストが、他のカットの一部に隠れていて、残念です。

明菜の声は、山口百恵と似ている低い声で、初期のスローバラードとツッパリ系の曲を
交互にリリースする手法も、山口百恵と似ていました。
明菜の2年先輩に当たる三原順子も、山口百恵と似ている声と曲調で、山口百恵が引退する80年に、入れ替わるように、デビュー曲「セクシー・ナイト」を大ヒットさせました。
[25] 名前:名無しさん :2019/07/14 (日) 00:02:14 No.2990
2990.jpg (213KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の8ページ目の左上です。
このビキニカットでも、明菜の括れたウェストが途中でカットされています。

しかし2曲目以降、売り上げは下降線を辿って行き、82年には路線変更を余儀なくされます。
明菜は、なぜ三原順子の二の舞を踏まずに済んだのでしょうか。
それは、顔が山口百恵と似ていなかったからです。三原順子は、声や曲調だけでなく顔まで似ていて、
まるで山口百恵のイミテーションのように見られ、ツッパリ系の曲ばかりを連打する事によって、
早く飽きられました。明菜は、このカットでも分かるように、目鼻立ちが丸く、
幼い少女のように見える顔です。この顔で、大人っぽいスローバラードや激しいツッパリ系の曲を、
低い声で歌う事により、顔(メイク)まで大人っぽかった山口百恵とは違う魅力を、開拓しました。
[26] 名前:名無しさん :2019/07/14 (日) 00:10:41 No.2991
2991.jpg (139KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の9ページ目の右上です。
デビュー時の可愛いくて幼い顔立ちに合っている、可愛いビキニのカットです。

本当は、歌の時の衣装も、フリフリの可愛い衣装が好きでしたが、歌のイメージに合わないため、
フリフリの可愛い衣装はなかなか着る機会がありませんでした。
キョンキョンが、フリフリの可愛い衣装で歌っているのを見て、羨ましく思ったそうです。
逆にキョンキョンは、大人っぽい衣装で歌う明菜を羨ましく思っていました。
お互いの好みや性格が正反対だからこそ、親友になったと思います。
[27] 名前:名無しさん :2019/07/14 (日) 00:23:10 No.2992
2992.jpg (441KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の10ページ目の上です。
今では、女性歌手なら誰でも「歌姫」と言う時代ですが、
このムック本が発売された94年に、明菜がリリースしたカバー曲集のアルバム「歌姫」が、
その発端となりました。中森明菜こそ、歌姫という称号に最も相応しいと思います。
[28] 名前:名無しさん :2019/07/14 (日) 00:25:47 No.2993
2993.jpg (441KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の10ページ目の下です。

テレビの歌番組が全盛期だった70〜80年代。カラーテレビが普及し、
聴かせる歌から見せる歌へ変化した事が、アイドル歌手誕生の要因のひとつとされています。
その70年代〜81年まで、大好きな歌番組を夢中になって見ていた明菜が、
82年以降、見せる側に回ります。ザ・ベストテンやトップテン、夜ヒット等、
様々な歌番組で、単に聴かせるだけでなく、見せる工夫を自ら率先して実践してきた明菜。
トップ人気のアイドルになっても、歌を歌えない番組には出演しませんでした。
そのあたりに、歌手としての中森明菜のこだわりが感じらます。
[29] 名前:名無しさん :2019/07/21 (日) 23:34:38 No.3025
3025.jpg (493KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の7ページ目の下です。
デビュー当時は強豪アイドルがひしめいていたので、ワンピース水着でも、
胸元が大きく開いたタイプの水着を着て、バストを強調していたのかも知れません。

歌を歌えない番組には出演しなかった明菜ですが、90年代に入り歌番組が激変し、
ついにテレフォン・ショッキングに初登場したのが、95年。
デビュー当時は、体重が58キロもあった事。そのためストッキングが伝線して破けた事。
バストもDカップ間近のCカップだった事を暴露します。
その後体重は、アイドル全盛時は47キロ、80年代後半は44キロが続き、
自殺未遂後は40キロを切っていたが、最近40キロ台まで戻ったと、言っていました。
[30] 名前:名無しさん :2019/07/21 (日) 23:36:49 No.3026
3026.jpg (277KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の8ページ目の右上です。

初登場したテレフォン・ショッキングでは、元々肋骨が小さいので、
痩せても肋骨が目立たないと言っていました。
体重が58キロもあったデビュー当時は、その小さな肋骨の上にお肉が付いていたので、
バストサイズ自体が大きく、Dカップ間近のCカップでも、豊乳に見えたのかも知れません。
[31] 名前:名無しさん :2019/07/21 (日) 23:43:38 No.3027
3027.jpg (492KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の8ページ目の下です。
このカットのように、細く括れたウェストが見えれば、相対的に分厚く突き出たバストに見えます。

95年に初登場したテレフォン・ショッキングでは、次に電話で繋げる人の名前をど忘れする
ハプニングがありました。32年続いた番組の中でも、こんなハプニングは初めてでしょう。
この頃は、既に次の出演者の内諾を取っていましたが、その出演者の名前をタモリが教えると、
テレフォン・ショッキング自体が成立しなくなります。焦った明菜に、落ち着くように言うタモリ。
生番組に出ると緊張するという、明菜の性格がよく分かるエピソードでした。
[32] 名前:名無しさん :2019/07/21 (日) 23:45:13 No.3028
3028.jpg (497KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の9ページ目の左です。

2〜3分後、ようやく思い出した明菜が、ホッと安心した表情に、素の可愛らしさがありました。
思い出した名前は泉谷しげる。電話を繋げた時、最初はテレビを見ていないふりをしていましたが、
最後に、「明菜の野郎、忘れやがって。」と言う泉谷。ひたすら謝る明菜も、可愛かったです。
[33] 名前:名無しさん :2019/07/21 (日) 23:54:33 No.3029
3029.jpg (162KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の5ページ目の左下です。
料理をしているカットです。6人兄妹(2男4女)の5番目、三女の明菜。
これだけ兄妹が多いと、母親は子供の面倒を見るのが大変でしょうが、
「明菜は一番手のかからない子供だった」と母親が言っているように、
料理を始めとした家事は得意です。
山口百恵に憧れていた明菜は、結婚して専業主婦になるのが夢だったのでしょうが、
叶いませんでした。デビュー当時、花の82年組の中で、最も家庭的だった明菜だけ独身のままで、
他は幸せな家庭を築いたとは、皮肉な話です。(キョンキョンは、結婚生活9年で離婚しましたが。)
[34] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 00:36:57 No.3062
3062.jpg (489KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の8ページ目の右下と文章です。
キャッチフレーズの「ちょっとエッチな美新人娘」は、インパクトがありました。
美新人娘と書いて、ミルキーっこと読ませるあたりは、キャッチコピーが流行り始めた当時、
最前線を行っていた感じです。2ndシングル「少女A」は、詞や曲・歌唱も良かったですが、
何といっても、曲のタイトルのインパクトが絶大でした。
[35] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 00:39:07 No.3063
3063.jpg (303KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の11ページ目の右上です。

(34の続き)
このタイトルにより、アイドルファンだけではなく、世間一般に中森明菜に名前が浸透しました。
強豪ひしめく82年組アイドルは、そのほとんどが大手芸能事務所に所属していましたが、
明菜は、アイドルの売り出し方のノウハウを持っていなかった事務所に所属していました。
それが逆に、このようなユニークな戦略を取る事が出来た要因のひとつだと思います。
[36] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 01:04:25 No.3064
3064.jpg (495KB)
35で、しゃんばらに貼った画像は終わりです。ここからは、新規画像になります。

これは、ビッグアイドル・オンパレードの、本編の12ページ目の左下〜13ページ目の右下です。

96年にテレフォン・ショッキングに出演した時に話していた事ですが、
この頃、ボクシングのテレビ中継にハマッていたそうです。
子供の頃は、兄弟がプロレスで遊んでいても、馬鹿にして参加していなかったそうですが、
ボクシングにハマるとは、自分でもビックリとの事。
[37] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 01:08:22 No.3065
3065.jpg (487KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の13ページ目の左です。

(36の続き)
タモリが、そんなに好きなら会場まで見に行けば、と言うと、
我を忘れて、拳を振り上げ「行けー」と叫ぶので、その姿を写真週刊誌に撮られるのが嫌なので、
行かない。と言っていました。色々な誹謗中傷を書かれ、マスコミ嫌いになっていた頃です。
[38] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 01:14:56 No.3066
3066.jpg (495KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の14ページ目の右上です。
ここから、プライベートタイムのような、カワイイ明菜のカットが続きます。

95年に初登場したテレフォン・ショッキングを皮切りに、2000年代までのバラエティ番組での
トークでは、何を言い出すか分からない明菜の、独特の個性が発揮されて、楽しかったです。
(2006年頃に出た、とんねるずの「食わず嫌い」を見直しながら、そう思いました。)
2010年代に入ってから、バラエティ番組への出演もほぼ無くなってしまいました。
レコーディング活動は精力的に行っていても、ディナーショー以外のライブも行っていないので、
2010年の体調不良がまだ完治していないのかも知れません。
[39] 名前:名無しさん :2019/08/03 (土) 09:03:35 No.3080
3080.jpg (191KB)
>>29
>>デビュー当時は強豪アイドルがひしめいていたので、ワンピース水着でも、
胸元が大きく開いたタイプの水着を着て、バストを強調していたのかも知れません。

そうですね、当時は、アイドル戦国時代。
いまでも鮮明に覚えているのが、82年の水泳大会。
新人が、自己アピールするコーナー。 既に人気があった、松本伊代や早見優、小泉今日子、石川秀美らが並ぶ中で、ひときわ透き通るような肌の白いアイドルが。
それが、中森明菜でした。
ピンクの地味なワンピースでしたが、隠しきれない豊かなバストとヒップ。
大人びた身体は際立っていました。

そして、最後のフォトセッション。
明菜は、レースクィーンのように腰に手をあててカメラを直視。
さらに、ひざに手をあてて、バストの谷間を見せつけ。
深くて柔らかそうなバストに、思わずテレビにかぶりつきました。
フォトジェニックは柏原よしえ、新人賞は松本伊代だったけど、
テレビで見ていても、明菜のまわりにカメラマンがわんさか集まっていた。
明菜人気は、この水泳大会で沸騰したんじゃないかな。


[40] 名前:名無しさん :2019/08/09 (金) 21:51:39 No.3106
3106.jpg (180KB)
>>39
花の82年組では、明菜とキョンキョンが、バストとヒップが大きかったですね。
キョンキョンは、日焼けした肌が似合う、ツンと突き出たロケットオッパイタイプでしたが、
明菜は、白い肌にマッチした、柔らかそうでボリュームたっぷりのバストでした。
バストのセクシーさでは、明菜の圧勝ですね。
ボリュームたっぷりのバストから、細く締まったウエスト、ボリュームたっぷりのヒップへと続く、
プロポーションの素晴らしさは、アイドル界No.1でしょう。

画像は、ビッグアイドル・オンパレードの、本編の14ページ目の左上です。
ローラースケート姿の2ショットです。
上は斜め前を向いているため、Tシャツ越しにでも判るボリュームたっぷりのバストが、
下は斜め後ろを向いているため、短パン越しにでも判るボリュームたっぷりのヒップが、魅力的です。
[41] 名前:名無しさん :2019/08/17 (土) 23:50:28 No.3147
3147.jpg (311KB)
ビッグアイドル・オンパレードの、本編の14ページ目の右下です。
プライベートで見せる明るい笑顔を、90年代に入ってからは、
テレビのトーク番組でも、見せてくれるようになりました。
2000年頃の「HEY!HEY!HEY!」では、新人賞を取れなかった事について、
「あれだけ新人が粒ぞろいの年は、事務所の力が強い所がいく。」と、
ホンネ混じりで語っていました。
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