松本伊代

[1] 名前:名無しさん :2019/04/10 (水) 20:35:47 No.2496
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DUNKの84年12月号から、13thシングル「ビリーヴ」の歌詞が載っているページです。
「ビリーヴ」は、伊代ちゃんの曲の中で、一番好きな曲なので、スレ画に使いました。
ちなみに、好きな曲ベスト5は、以下の通りです。
1、ビリーヴ
2、時に愛は
3、チェイニーズ・キッス
4、恋のKNOW-HOW
5、信じかたを教えて
[56] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 00:52:55 No.3350
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BOMBの84年2月号の、1ページ目です。
春が大好きな伊代ちゃん。春先に出る新曲は、尾崎亜美作詞・作曲の「恋のKNOW-HOW」です。
尾崎亜美らしい軽快なポップナンバーで、伊代ちゃんの振り付けも可愛くて、大好きでした。

(55の続き)
そしてキョンキョン・明菜を中心に、花の82年組が、様々な形の等身大のアイドル像を
作って行きました。花の82年組の中で、唯一81年末デビューの松本伊代だけは、
「魔法の国の妖精のように」というイメージを残しながら、それをトークのボケや、
癒し系(当時はない言葉)のキャラに活かして行きました。
[57] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 00:55:06 No.3351
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BOMBの84年2月号の、6ページ目です。
伊代のデビューまでの生い立ちが、4ページに渡って載っています。
体重3705グラムの大きな赤ちゃん。幼稚園まではわりと太っていて、
健康優良児にも選ばれたそうです。
ところが胃腸を壊してから、だんだんか細い子になって行きました。身体がか細くても、
伊代ちゃんは病気知らずの元気なアイドルに見えますが、そんな病気をしていたのですね。
[58] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 00:57:37 No.3352
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BOMBの84年2月号の、2〜3ページ目です。
残念ながら、この巻頭大特集のカラーグラビアは、4ページしか載っていません。

(57の続き)
上が姉なので、今度こそ男の子が欲しいと思った両親の願い虚しく、まだ女の子として生まれ、
諦めきれない両親が、男の子っぽい服を着せて、近所の人から「坊ちゃんですか。」と
聞かれるあたりは、まるでキョンキョンの幼少時代とそっくりです。
似た生い立ちから、パリンコの3人は、本当に仲良くなったみたいです。
お姉ちゃんの性格は、キョンキョンの場合と正反対だったようですが。
[59] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:27:28 No.3386
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BOMBの84年2月号の、7ページ目です。
一家揃って宝塚ファン、お姉ちゃんとリサイタルごっこをしていました。
人気アイドルになる人には珍しい、歌手になるためには恵まれた家庭環境で育ちました。
初恋が幼稚園の頃とは、その方面ではマセていたようです。
「おちゃめで気が強くて、口ゲンカでは絶対負けなかったの。」
デビュー曲がいきなり売れて、花の82年組のリーダーとして最初活躍出来たのは、
気が強い性格が良い方に働き、長い間芸能人として活躍しているのは、おちゃめな性格が、
伊代ちゃん独特の、周りをホンワカした空気にする技術を磨いていったからだと思います。
[60] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:29:42 No.3387
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BOMBの84年2月号の、4ページ目です。

(59の続き)
初期のキョンキョンやちえみのドジは、アイドルとして親近感を得られる性格ですが、
伊代ちゃんのボケは、長い間芸能人として活躍するための手段でしょう。
[61] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:34:51 No.3388
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BOMBの84年2月号の、8ページ目です。
小学校高学年の頃、勉強が好きでなかった伊代は、お母さんに叱られても口答えする反抗期でした。
ママになった伊代は、反抗期の自分の子供を叱っても、迫力がないので、
叱る役はパパ(ヒロミ)に任せていたそうです。
叱っていた頃のお母さんの大変さが、ママになってから解ったと思います。
スポーツがまるでダメで、習い事も続かなかった伊代を、唯一夢中にさせたのはピンク・レディー。
リサイタルごっごも、ますます白熱しました。
[62] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:39:09 No.3389
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55年1月10日発行の週刊プレイボーイの年鑑「ギャルズメイト」の、1〜2ページ目です。
(撮影は、84年)

(61の続き)
ピンク・レディーは、小学生からの人気が高かったので、82〜84年ぐらいにデビューした
アイドルには、ピンク・レディーの真似をしていた人達が沢山いました。
もちろんパリンコで一緒だったキョンキョンやちえみも、ピンク・レディーの真似をしていました。
でもパリンコ3人の中で、伊代が一番踊りが上手かったのは、
ピンク・レディーの真似を、一番熱心にしていたからかも知れません。
[63] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:48:14 No.3390
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BOMBの84年2月号の、9ページ目です。
伊代は痩せているので、テニスルックが似合うのでしょう。
キャンディーズを歌う時は、「当然ミキちゃんの役」と言っていますが、
伊代ちゃんは面長の顔なので、痩せてて面長のランちゃんの方が似ているように思います。
それとも中1の頃は、やや丸顔っぽかったのかも知れません。
左上の中2の頃の写真から、そんな印象を感じます。
(しゃんばらに載せた時は、ミキちゃんと伊代ちゃんは、アイドル史で1、2位を争うペチャパイと
 言うご指摘がありました。そういう意味では、「当然ミキちゃんの役」なのでしょう。)
[64] 名前:名無しさん :2019/10/07 (月) 01:51:21 No.3391
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週刊プレイボーイの年鑑「ギャルズメイト」の、3ページ目です。

(63の続き)
幼稚園の頃の初恋らしきものとは違い、中2の片思いは辛かったと思います。
「もともとあんまり男の子にモテるほうじゃない。」と言っていますが、
伊代の方が好き嫌いが激しかったのかも知れません。テレビでタモリに、
好き嫌いがすぐ顔に出るタイプと、言われていました。
そんな中2の頃に入った茶道部では、伊代ちゃんらしいキャラが出ていて、読んでて楽しくなります。
[65] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:39:55 No.3434
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BOMBの84年2月号に戻って、10ページ目です。
伊代は、中3の12月にモデルとしてスカウトされますが、
森村学園は芸能活動禁止なので、モデルとして仕事を始めると、
高等部への進学を諦めなければならないので、悩みます。
やはりモデルだけでは、将来が不安なのでしょう。
[66] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:42:07 No.3435
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BOMBの84年2月号の、11ページ目です。
森村の高等部入学手続きを済ませてから、「たのきん全力投球」のオーディションに合格した伊代。
津久井高校の入試に合格してから、「スター誕生・決戦大会」で合格したキョンキョンと似ています。
同じ81年3月の事でした。でもレコードデビューは、伊代の方が5ヶ月も早かったです。
リサイタルごっこをしていた事が、アイドルデビューの準備に役立っていたのでしょう。
当然ビクターも、伊代ちゃんの売り出しに力を入れ、キョンキョンは二の次でした。
[67] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:43:45 No.3436
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週刊プレイボーイの年鑑「ギャルズメイト」の、4ページ目です。
細い身体の伊代ちゃんは、脚の方から撮っても細いです。
[68] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:46:25 No.3437
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BOMBの84年2月号に戻って、12ページ目です。
誕生日での、お母さんやお姉さんとの3ショットを見ると、伊代の面長の顔の輪郭は、
母からの遺伝に見えます。母親が一番面長です。
パリンコの写真では、やはり伊代のポーズが、一番決まって見えます。
そして武道館コンサート。デビュー1年で武道館コンサートを行うのは、
当時としては画期的な出来事でした。調べたら松田聖子でも、2年半以上かかっています。
[69] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:50:00 No.3438
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BOMBの84年2月号の、13ページ目です。
81年10月21日デビューなので、翌年の新人賞レースで
「アレッ、どうして伊代ちゃんが新人なの」と、
なかなか新人扱いしてもらえなかった事を、正直に言っています。
ビクターとしても、力を入れて売り出した新人を、
新人賞レースに参加出来ないようなタイミングで、売り出すはずがありません。
[70] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 20:53:43 No.3439
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週刊プレイボーイの年鑑「ギャルズメイト」の、5〜6ページ目です。
文章に書いてあるように、伊代の顔や身体や声という個々の魅力で考えると、
トップアイドルとして人気をキープするには無理な気もしますが、
全体的な雰囲気が良く、キャラが立っているから、人気を持続出来たと思います。

(69の続き)
事前に10月21日デビューの場合、翌年の新人賞レースに参加出来る事を、
確認していた事でしょう。
1年間コンスタントにヒット曲を出し続けた結果、
歌謡大賞新人賞をシブがき隊と一緒に取ったのを初め、数々の新人賞を受賞しました。
[71] 名前:名無しさん :2019/10/18 (金) 00:12:01 No.3459
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BOMBの84年2月号に戻って、14ページ目です。
オールナイトフジの司会にスポットを当てたコーナーです。
ウィキには84年10月から司会と書いてありますが、83年10月の間違いでしょう。
年上の女子大生と共演しても、存在感充分な女子高生・伊代の司会ぶりでした。
「伊代のセリフは全部アドリブ」。朝5時起きで、深夜の生放送は大変だったと思います。
他の出演者とは、スケジュールの過密さがまるで違うのだから、つい口を滑らせて、
ゴーストライター発覚事件と言われるようになったのも、無理ありません。
伊代ちゃんの自然体のキャラが、周囲を和ませていました。
[72] 名前:名無しさん :2019/10/18 (金) 00:14:36 No.3460
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BOMBの84年2月号の、15ページ目です。
女子大生には、ちょっとなってみたいと、言っています。
オールナイトフジの司会をしているうち、女子大に進学したくなり、
戸板女子短大に進学したのかも知れません。
短大とはいえ、忙しいスケジュールであまり受験勉強が出来ないのに合格したのだから、
意外に頭がいいのでしょう。堀ちえみのように、長い連ドラの主演が無く、
出席日数が足りて、堀越高校を留年しないで卒業出来たのも幸いでした。
[73] 名前:名無しさん :2019/10/18 (金) 00:16:42 No.3461
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GOROの84年12月13日号の、1〜2ページ目です。

(72の続き)
現役女子大生から選び抜かれた、おかわりシスターズやおあずけシスターズと比べても、
デビュー時から、人気アイドルとして活躍している伊代ちゃんの可愛らしさは、別格でした。
それは、「プロフェッショナルとして高貴な輝きや風格さえ漂っている」と書いてある通りです。
オールナイトフジの初期は、「現役バリバリの目立ちたがりお姉さんたちと、
何やら摩訶不思議な透明感を持った伊代の独特の存在感のコントラスト。」が魅力でした。
[74] 名前:名無しさん :2019/10/18 (金) 00:20:59 No.3462
3462.jpg (491KB)
BOMBの84年2月号の、16ページ目です。
伊代ちゃん初の連ドラ主演作「私は負けない!ガンと闘う少女」の現場ルポが載っています。
最初から8回で終わるよう決まっていた連ドラですが、「伊代を殺さないで!」という投書が、
うなぎ上りに増えたため、最終回で死ぬシーンが無くなったのでしょう。
まだ視聴者の反応を見ながら台本を書いていた頃なので、台本→撮影→放送の間隔が短く、
8回しか無くても、最終回には視聴者の声が反映されたと思います。
[75] 名前:名無しさん :2019/10/18 (金) 00:23:31 No.3463
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GOROの84年12月13日号の、7ページ目です。(3〜6ページ目は、後で)

(74の続き)
「もし死ぬシーンがあったとしたら、きれいにコックリ死にたいと思ってたんですよ。」と
言っていますが、この通り演じたら「リアルさが欠ける」とクレームが付いたかも知れません。
投書が伊代を守ったのかも。「こんなに真剣に取り組んだドラマは初めてでした。」と言っている
このドラマは、伊代ちゃん最初で最後の連ドラ主演作なので、是非見たいです。
CSのTBSチャンネルでは、時々80年代アイドルドラマ特集を組むので、
取り上げて欲しいです。
[76] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 01:32:46 No.3497
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BOMBの84年2月号の、17ページ目です。
薬師丸ひろ子主演で大ヒットした映画になる前のドラマ版「Wの悲劇」で、
あの摩子役を演じていたんですね。映画が出来る前のためか、載っていないのは残念です。
(ドラマ版は、映画版の劇中劇である原作を、そのままストーリーにしている。)
デビュー作である「たのきんドラマ」は、けっこうシリアスなドラマと言っています。
ピンキーパンチ大逆転では、「あの衣装の下、何にも着けてなかったから恥ずかしくって」。
楽屋では、柏原芳恵と裸の付き合いだった事になります。
パリンコ学園No.1では、コント赤信号の過激な悪ノリは恐怖だったそうですが、
その後、生放送の歌番組でキョンキョンが歌っている時のバックでも悪ノりし、
キョンキョンが「コノー」とキレていました。
[77] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 01:36:10 No.3498
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GOROの84年12月13日号の、5〜6ページ目です。
85年3月20発行の写真集「だれか誘惑」を予感させるようなカットが、
この雑誌のグラビアでは多いです。
10年ぐらい前にCSで放送していた、松本伊代の冠番組で、伊代のお宝写真集を探して、
古本屋でロケしていましたが、数万円もするポスターやカセットテープを紹介した後、
写真集「だれか誘惑」が、他の写真集より桁違いに安く売られていました。
隣は、松本コンチータというAV女優でした。
[78] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 01:43:20 No.3499
3499.jpg (490KB)
BOMBの84年2月号の、18ページ目です。
ビクターの人気アイドルは、年にシングル4枚、オリジナルアルバム2枚、
ベストアルバムや企画物を含めるとアルバムも4枚リリースするのがノルマだったので、
年末には帳尻合わせのために、ベスト盤が出るのが常でした。
他のレコード会社の人気アイドルも、似たり寄ったりでしょう。
伊代の所属していたボンド企画は、70年代にも岡田奈々や大場久美子といった
人気アイドルを輩出していますが、女優業やグラビア人気の割りに
レコードセールスがイマイチでした。
そんな先輩よりも、レコードセールスを含めて伊代は売れていたので、過密スケジュールのため、
事務所のスケジュール担当者が熱を出すのも、無理ありません。
大阪でアルバム「Sugar Rain」をレコーディングしたのは、
大阪で初ミュージカルに挑戦していたからです。
[79] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 01:49:06 No.3500
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DUNKの84年9月号に、アルバムの代表作が載っているので、こちらを先に。
初期の伊代のアルバムは、1stアルバムがカントリーっぽかったり、アメリカ指向で、
小型大瀧詠一風らしいです。特徴のある声が、
アメリカン・ポップス風の曲にピッタリだったのでしょう。
その作風が変わったのは、尾崎亜美と出会ってから。「時に愛は」は、今聞いても名曲です。
尾崎亜美が作品を提供したアイドルは沢山いますが、作品提供の前後で、
曲調がガラッと変わったのは、伊代と岩崎良美の二人だけです。
岩崎良美は、新人としては歌が上手すぎるため、作家陣が変に難解な曲を作ったり、
試行錯誤を続けていて、尾崎亜美作品と出会って、
ようやく自分の世界が確立されていった感じです。
伊代は、デビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」が大ヒットし、出来も良かったため、
アメリカン・ポップス風の曲で、自分の世界を確立していましたが、
大学に進学して、ステップアップを図る時期に、上手く尾崎亜美作品と出会い、
本格的なバラードも得意分野になりました。
[80] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 01:53:10 No.3501
3501.jpg (491KB)
BOMBの84年2月号に戻って、19ページ目です。
この時点での伊代のディスコグラフィーが載っています。
売り上げ枚数も書いてありますが、おそらくオリコン調べでしょう。
レコード会社が発表する集荷枚数なら、この2〜3倍にはなっているでしょう。
やはりデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」が、突出した売り上げになっています。
人気アイドルは、デビュー曲から一気に売れるイメージがありますが、
それはジャニーズの男性アイドルの場合が多いです。80年代女性アイドルに限定すると、
デビュー曲から一気に売れ、その後もコンスタントに売れていたのは、伊代ちゃん以外には、
薬師丸ひろ子しか思い浮かびません。おニャン子クラブのメンバーや、それ以降のアイドルは、
デビュー曲が一気に売れても、その後急激に売り上げを落としていった感じです。
聖子・明菜・キョンキョン・桃子を始め、80年代のスーパーアイドルのデビュー曲は、
みんなベストテンにランクイン出来ませんでした。如何にデビュー曲
「センチメンタル・ジャーニー」のインパクトが大きかったかが、分かります。
[81] 名前:名無しさん :2019/11/11 (月) 23:33:43 No.3540
3540.jpg (80KB)
投稿写真の84年10月号から、素人が撮った写真の右上です。
[82] 名前:名無しさん :2019/11/11 (月) 23:36:59 No.3541
3541.jpg (493KB)
BOMBの84年2月号の、20ページ目です。
初ミュージカル「愛のシンフォニー」のルポが載っています。
笑い上戸のキョンキョンは、舞台で吹き出すのを恐れ、32歳になるまで舞台に立ちませんでした。
同じく笑い上戸のちえみは、未だに舞台未経験です。
この二人と同じぐらい笑い上戸(らっきょうが転がるのが可笑しくて笑うCMあり)の伊代は、
無事に初ミュージカルの舞台を乗り越えられたのでしょうか。
(坂上二郎が、上手くフォローしていたと書いてあります。)
「もっとお腹から声を出すようにっていわれました。」
もしミュージカルを続けていたら、伊代ちゃん独特の声が、もっと太くなって
平山みきのようになったかも知れないと思うと、続けなくて良かったです。
早見優は、アイドル卒業後ミュージカルやジャズを歌っていたので、
アイドル時代の歌唱法ではなくなりました。
[83] 名前:名無しさん :2019/11/11 (月) 23:39:46 No.3542
3542.jpg (489KB)
伊代が出演したCMについて、載っています。
最初のボンカレーのCMは、レコードデビューの半年も前だったんですね。覚えていませんでした。
もちろん、らっきょうを転がるのを見て笑うCMは、覚えています。
シャワランは、伊代が小学校高学年の頃に真似をしたピンク・レディーの代表CMのひとつでした。
「彼女みたいにふわふわした感じで、生活感を全く感じさせない子は珍しい。」
代表曲のひとつ「TVの中からキラキラ」も、その伊代のキャラがなければ成立しない曲でした。
キョンキョンがCMクィーンとしてブレイクした80年代末、「今までと同じように
CMをやってきただけなのに、何故今頃になってそんなに騒ぎ出す?」と不思議がっていました。
伊代も、CMタレントとしての素質は十分だっただけに、継続していれば、
CMクィーンになれたのかも知れません。
[84] 名前:名無しさん :2019/11/11 (月) 23:42:13 No.3543
3543.jpg (492KB)
投稿写真の84年10月号から、素人が撮った写真のメインカットです。
バストに自信がないからヒップで、と考えたのか、
カメラ小僧にパンチラをサービスしている伊代ちゃんです。
[85] 名前:名無しさん :2019/11/11 (月) 23:48:47 No.3544
3544.jpg (485KB)
BOMBの84年2月号の、22ページ目です。
伊代のマル秘健康法が、2ページに渡って載っています。
人気アイドルは、健康な体が資本です。ハードスケジュールに耐えられず、体を壊して脱落しては、
大金をかけて売り出した事務所は大損害。人気アイドルが所属する事務所は、
アイドルのマル秘健康法を、密かに蓄積していた事でしょう。
特にボンド企画は、身体が細いアイドルが多かったので、
(伊代ちゃんの先輩では、岡田奈々・大場久美子。後輩では、本田美奈子)、マル秘健康法は
重要だったと思います。それに本人のやる気や家族の協力があって、
伊代のマル秘健康法が出来たのでしょう。
スター運動会では、三田寛子のおかげで最下位を免れました。動画アップされていたリレーでは、
同じく走るのが苦手なキョンキョンが、司会の補佐に回り、第二走者の伊代ちゃんに
「ダメですね。さっき「何で私が出るの」と自分で言ってました。」と、暴露していました。
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