松田聖子

[1] 名前:名無しさん :2019/04/11 (木) 19:31:56 No.2503
2503.jpg (496KB)
月刊平凡の81年3月号から、ミスターソニーの募集広告です。
応募要項等は、今となっては関係ないのでカットしました。
[48] 名前:名無しさん :2019/08/24 (土) 00:13:44 No.3173
3173.jpg (201KB)
20世紀アイドルスター大全集から、4ページ目の左上です。

さっさと神田正輝との愛を育んでいた聖子とは対照的に、
郷ひろみは、シングル「ケアレス・ウィスパー」の訳詞で、聖子との愛の破局を、
未練たらしく歌っていました。(最近のBSの番組で、同じくワムの原曲を使った、
西城秀樹の「抱きしめてジルバ」の訳詞との比較として、語られていました。)
[49] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 00:30:59 No.3212
3212.jpg (298KB)
20世紀アイドルスター大全集から、4ページ目の右下です。
ヨーロッパ旅行のカットです。髪がまだ聖子ちゃんカットなので、81年頃でしょう。
日本食の大好きな聖子の口には、ヨーロッパの食事も合わなかった事でしょう。

なお4ページ目の左下は、他のムック本にも載っている結婚式のカットなので、省略します。
[50] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 00:49:02 No.3213
3213.jpg (175KB)
85年10月1日発行の、近代映画のムック本「アイドル40年」の、1ページ目の右上です。
80年は、新人アイドルには「ポスト百恵」と言う冠が付きものでした。
しかし、14歳でデビューした百恵に対し、18歳とアイドルとしては遅めのデビューになった聖子。
落ち着いた大人のムードで、実年齢より年上に見える百恵に対し、
泣き笑いの感情を表に出し、明るいキャラで、実年齢より年下に見える聖子。
何もかも百恵とは正反対の聖子が、ポスト百恵のスーパーアイドルになりました。
[51] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 01:03:03 No.3214
3214.jpg (187KB)
「アイドル40年」の、1ページ目の右の上から2番目です。

なぜ聖子が、ポスト百恵のスーパーアイドルになったのでしょう。
百恵とソックリの歌や外見のアイドルなら、三原順子がいたのに。
それは、70年代と80年代の時代の差によるものだと思います。
73年にデビューした親友でライバルの、桜田淳子と山口百恵。
73年は淳子が、74年は百恵が、75年は淳子が、76年は百恵がと、
交互に女性アイドルのトップになりました。
しかし、76年以降は百恵が独走しました。
[52] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 01:24:51 No.3215
3215.jpg (215KB)
「アイドル40年」の、1ページ目の右下です。

百恵が70年代後半に独走出来たのは、70年代が、高度経済成長の弊害で公害問題が起こり、
ドル・ショック、オイル・ショック等で景気が暗く、その時代背景にマッチしたキャラクターだった
からだと思います。時代と寝た女と称されたのも、うなずけます。
これに対し80年代は、その末期のバブル経済に向かって、景気が明るくなっていった時代でした。
そんな時代には、明るいキャラのアイドルが好まれ、聖子がスーパーアイドルになったのでしょう。
時代と遊ぶ女と称されました。(ちなみにキョンキョンは、時代のオモチャ。)
淳子ファンだった私は、淳子が成し得なかった事を、事務所の後輩の聖子が
引き継いでくれたようで、嬉しかったです。
[53] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 01:30:36 No.3216
3216.jpg (163KB)
「アイドル40年」の、1ページ目の左上です。
テニスブームの頃なので、テニスで汗を流しているカットが載っています。
子供の頃は、「アタックN0.1」や「エースをねらえ」というスポ根ものに夢中だった聖子。
このカットは、「エースをねらえ」の岡ひろみの気分でプレイしていたのでしょうか。
中学の3年間は、軟式テニスに所属し、汗を流していました。
[54] 名前:名無しさん :2019/09/11 (水) 01:25:33 No.3249
3249.jpg (140KB)
「アイドル40年」の、1ページ目の左の上から2番目です。
中学校時代はテニス部で汗を流した聖子ですが、デビュー後は忙しく、
テニスをしている暇もありませんでした。親友の岩崎良美が、
ダイエットを兼ねて壁打ちテニスをしていると聞き、二人でテニス合宿をしますが、
学生時代からのブランクが長い聖子は、良美に負けて悔しがっていました。
[55] 名前:名無しさん :2019/09/11 (水) 01:29:32 No.3250
3250.jpg (148KB)
「アイドル40年」の、1ページ目の左の下から2番目です。
河合奈保子や柏原芳恵との3ショットが載っています。
身体は、太めの二人と比べて細身の聖子ですが、
年齢が離れているので、頼れるお姉さんのように見えます。
[56] 名前:名無しさん :2019/09/11 (水) 01:31:32 No.3251
3251.jpg (186KB)
「アイドル40年」の、1ページ目の左下です。
親友の岩崎良美との2ショットが載っています。良美は、聖子の事を本名のノリ(蒲池法子)と
言っているそうです。松田聖子と言う芸名が付く前に、蒲池法子として堀越高校のクラスメートに
なったからでしょう。良美はどちらかというと大人しい性格なので、
さっぱりして男のコっぽい性格のノリと仲良くなったと思います。
同期では、レッツゴーヤングのサンデーズになったのがきっかけで、
浜田朱里とも仲良くなっています。
[57] 名前:名無しさん :2019/09/11 (水) 01:36:07 No.3252
3252.jpg (495KB)
アイドル40年の水着ページ(2分の1ページ)です。
フジテレビの水泳大会の歴史を振り返る番組で、70年代はアイドルのビキニ姿が全盛だったのに、
80年代に入ってからは、アイドルの水着といえばワンピースが主体になった。と言っていました。
その代表として、聖子ちゃんとキョンキョンが取り上げられていました。
キョンキョンは、アイドルとしてはやや大きめのバストで、ビキニ姿も沢山見せていましたが、
聖子ちゃんは、胸に自信が無かったためか、このようなワンピースが多かったです。
(デビュー当時は、ビキニも着ていましたが。)
ちなみに、同じページの下段に載っている三原順子も、ワンピース水着でした。
[58] 名前:名無しさん :2019/09/11 (水) 01:46:58 No.3253
3253.jpg (456KB)
「アイドル40年」の、2ページ目の左上です。
神田正輝と出会うきっかけとなった映画「カリブ・愛のシンフォニー」のロケ中の
休憩時間なのでしょう。ロケ中に愛を育んでいた二人の、アツアツな感じが伝わってきます。
[59] 名前:名無しさん :2019/09/17 (火) 23:44:38 No.3289
3289.jpg (342KB)
「アイドル40年」の、2ページ目の右上です。
映画「カリブ・愛のシンフォニー」の、メキシコ・ロケの2ショットです。
今見ると、10歳年上の神田正輝の方が緊張し、聖子がリードしているように見えます。
[60] 名前:名無しさん :2019/09/17 (火) 23:48:11 No.3290
3290.jpg (491KB)
「アイドル40年」の、2ページ目の下です。
神田正輝と仲良くスクーターで二人乗りをしています。
日本では禁止されていますが、カリブではOKなのでしょう。
[61] 名前:名無しさん :2019/09/17 (火) 23:52:05 No.3291
3291.jpg (490KB)
「アイドル40年」の、3ページ目です。
神田正輝との結婚式における、ケーキカットの瞬間が大きく載っていて、
アイドル40年が締めくくられています。
キョンキョンがジミ婚を流行らせる前、芸能人の結婚式と言えばハデ婚が当たり前でした。
そんな、懐かしい気分にさせてくれる聖子の結婚式のケーキカットシーンです。
[62] 名前:名無しさん :2019/09/18 (水) 00:01:23 No.3292
3292.jpg (287KB)
89年9月20日発行の、近代映画のムック本「女神の肖像」の水着カット(1枚目)です。
プロフィールに書いてある、高校1年の時に応募した「ミスセブンティーン」で、
もし両親の反対がなく、全国大会で優勝して歌手デビューしていたら、
78年デビューになった事でしょう。
アリス・世良公則・原田真二・渡辺真知子・庄野真代等、ロック&ニューミュージックの全盛時代。
松田聖子は、80年デビューと同じように大ブレイク出来たでしょうか。
「あどけない水着姿にもスターの風格を感じる」
これは大ブレイクした後だから、言える事でしょう。
[63] 名前:名無しさん :2019/09/18 (水) 00:06:17 No.3293
3293.jpg (287KB)
近代映画のムック本「女神の肖像」の水着カット(2枚目)です。
デビュー当時は、ビキニも結構着ていた事が判ります。
57で書いたフジテレビの水泳大会の歴史を振り返る番組での、ワンピース主流説が、
如何にいい加減だったか、良く判ります。
しゃんばらに書いた時、81年のヨットに乗っているカットが最後のビキニ姿と、
教えて下さる方がいました。
[64] 名前:名無しさん :2019/09/25 (水) 22:31:11 No.3328
3328.jpg (497KB)
近代映画のムック本「女神の肖像」の水着カット(3枚目)です。
こちらは、ワンピース水着です。
ママドルと言う言葉を作った聖子は、ママになりながらも現役アイドルを続けましたが、
いつも間にか、元アイドルのママがタレント活動を行う時にも、
ママドルと言われるようになりました。
[65] 名前:名無しさん :2019/09/25 (水) 22:34:10 No.3329
3329.jpg (465KB)
2006年5月10日発売のアイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、
近代映画の80年5月号の、表2グラビアです。
表2グラビアとは、近代映画の表紙の裏で、当時注目の新人アイドルを紹介するページでした。
このカットは、80年代を代表するアイドルである聖子のスレがハリコの時に無かったので、
皮肉の意味を込めて、ハリコの80年代アイドルスレに載せたカットです。
[66] 名前:名無しさん :2019/09/25 (水) 22:41:40 No.3330
3330.jpg (477KB)
アイドルデビュー伝説(1980〜82年編)から、近代映画の80年11月号の、1ページ目です。
3ページに渡って、インタビューが載っています。
この頃は、数多くの音楽祭での賞レースがありましたが、日本テレビ音楽祭は最初の頃なので、
ノミネートだけで泣き、最優秀新人賞の時も泣いたのでしょう。
その内ノミネートだけでは泣がなくなったと思いますが、数多くの音楽祭で新人賞を取りすぎて、
涙が枯れ、有名なウソ泣きのシーンが生まれたのでしょうか。
初コンサートの場所が、日本青年館と大阪厚生年金の中ホールだった事から、
まさかこんなに売れて、人気が爆発するとは、主催者側が考えていなかった事が分かります。

この続きは、2・3に載せているので、しゃんばらに載せた画像は、これで終わりです。
次回からは、新規画像をスローペースで載せて行きます。
[67] 名前:名無しさん :2019/10/11 (金) 01:41:57 No.3409
3409.jpg (488KB)
アイドルデビュー伝説から、近代映画の81年1月号の、7ページ目です。(20の続き)
この時のサンデーズには、田原俊彦もいました。二人とも、サンデーズ在籍中
(80年4月〜81年3月)にトップアイドルに上り詰めて行きました。
翌81年4月から1年間は、田原俊彦と一緒に司会を務めていましたが、
他の仕事が忙しすぎて、欠席する事もありました。
サンデーズ在籍中に、浜田朱里と仲良くなりました。
レッツゴーヤングのディレクターの「実にハキハキしてて、高い声がすごくきれい。」と言う印象、
レッスンを重ねるうちに輝いてくる実力とガッツ、CMオーディションで落とされても、
次回はダメな点を自ら改善する創意工夫が、聖子をスーパーアイドルに押し上げて行きました。
[68] 名前:名無しさん :2019/11/03 (日) 02:23:28 No.3502
3502.jpg (489KB)
アイドルデビュー伝説から、近代映画の81年1月号の、8ページ目です。
ドラマには出ているけれども、歌いたくてうずうずしていた聖子は、初レコーディングの時に、
自分のレコードが吹き込めると感激し、泣いたそうです。
レコードデビューまで紆余曲折していたので、感激もひとしおだったのでしょう。
その初レコーディングでは、いままでのうっぷんを晴らすかのように、大声で思いっきり歌いました。
そんな初レコーディングの様子を、作詞の三浦徳子と作曲の小田裕一郎が語っています。
意外にさみしがり屋で、ホテルで女性マネージャーと一緒の部屋で寝る事や、
仕事では、ひとりでも頑張る根性というあたり、初期の聖子は、
事務所の先輩の淳子と似た部分の性格を持っていた事が分かります。
[69] 名前:名無しさん :2019/11/20 (水) 00:34:29 No.3580
3580.jpg (254KB)
月刊明星の80年3月号に載っている、記事です。
私が持っている雜誌で、聖子が載っている最も古い雜誌になります。
歌手デビュー前、まだ事務所の社長宅にいる頃で、同じ事務所の先輩である太川陽介の恋人役で、
女優として活躍していた頃です。クレジットには、役名:松田聖子、役者名:蒲池法子(本名)に
なっています。所属事務所のサン・ミュージックでは、当初、中山圭子の売り出しに
力を入れていたため、「歌わない歌手」と書いてあります。
[70] 名前:名無しさん :2019/12/10 (火) 02:11:01 No.3666
3666.jpg (494KB)
月刊明星の80年5月号に載っている、記事です。
3月24日発売なので、「裸足の季節」でのデビューが決まっている記事です。
サン・ミュージックが、当初中山圭子の売り出しに力を入れていたのは、
父親が俳優の佐竹明夫、祖父が映画監督というサラブレッドだったからでしょう。
サン・ミュージックとの契約では、事務所の総力を挙げて取り組み、
2年間は他の新人歌手をデビューさせないというほど、優遇していました。
最初は、シャンプーのCMタイアップでデビューする予定でしたが、そのシャンプーに、
日本で認可されていない成分が含まれている事が発覚し、CMが中止となったため、
大々的に売り出す事が出来なくなり、「エクボ」のCMソングを歌う事が決まった
松田聖子に、サン・ミュージックは力を入れる事になりました。聖子と一緒にレッスンを受け、
親友となった中山圭子は、上記の優遇契約を主張しなかったため、トラブルは起こりませんでした。
(以上、中山圭子のウィキより)。80年のオールスター運動会で、聖子が走っている時に転倒し、
その後、後ろのランナーに後頭部を蹴られるシーンは、ハプニングシーンとして有名ですが、
聖子は、そのランナーの名前を口にしませんでした。そのランナーが中山圭子だったからです。
[71] 名前:名無しさん :2019/12/30 (月) 00:34:18 No.3745
3745.jpg (488KB)
月刊平凡の80年6月号の、白黒グラビア&記事です。
新人歌手紹介ページに、ヒカシュー・パティ・柏原よしえ・松田聖子の順に、
各1ページずつ載っていました。アイドルよりも、ミューミュージック系を重視していた事が、
この掲載の順番から分ります。百恵と同じソニーレコードが「第2の百恵」と売り出し中。
と書いてありますが、80年のアイドルは、ポスト百恵を合言葉にするアイドルが大半でした。
柏原よしえの記事にも、百恵と同じスタ誕出身で、デビュー時の年齢も同じ14歳。
うつむいた顔には年に似合わない「成熟した顔」を感じさせる。こんなところも、
百恵のデビュー時と似ている。とポスト百恵をアピールしています。
[72] 名前:名無しさん :2020/01/17 (金) 02:52:31 No.3821
3821.jpg (492KB)
月刊明星の80年6月号には、1ページ半の記事が載っています。その1ページ目(半分)です。
堀越の同級生の内、渋谷哲平(同じ事務所)と、親友の岩崎良美は同い年ですが、
石野真子は1歳年上です。78年デビューで、人気アイドルとして忙しかったので、留年したのかな?
聖子は、卒業してから歌手デビューしたので、学業との両立に苦しまずに済みました。
好きなタイプを、歌手ならジュリーと答えていますが、本当は郷ひろみのファンでした。
ジュリーなら既婚者で、年がかなり離れているので、ファンから反感を買わずに済むと
思ったのでしょう。
[73] 名前:名無しさん :2020/02/10 (月) 05:58:34 No.3932
3932.jpg (488KB)
月刊明星の80年6月号の、2ページ目です。
校則が厳しいカトリックの高校で育った聖子。
「私はつまらないことで、先生とケンカしてもしようがないと観念しちゃって。」
穏便な学園生活を送ります。さらに、学年の「女神」に選ばれた事により、
「イヤでも、イイコにならざるを得なくなっちゃって。」
本当は「ギャハハ」笑いをする快活な性格の聖子ですが、歌番組等でのインタビューで、
優等生的発言をしていたのは、上記のような高校生活で身に付いた事かも知れません。
[74] 名前:名無しさん :2020/03/05 (木) 03:03:47 No.4032
4032.jpg (489KB)
月刊明星の80年7月号は、6と7に載せています。
月刊平凡の80年8月号には、岩崎良美との対談が載っていますが、
今後、岩崎良美スレに載せる予定です。
これは、月刊明星の80年9月号の、1ページ目です。
「青い珊瑚礁」が売れ始めて、いよいよ聖子ちゃんブームが起き始めた頃です。
故郷の久留米に帰省した時のカラーレポートが、3ページ載っています。
[75] 名前:名無しさん :2020/03/26 (木) 03:29:32 No.4132
4132.jpg (454KB)
月刊明星の80年9月号の、2ページ目です。
2曲目「青い珊瑚礁」は、7月1日発売。初登場86位で、6週間かけてベストテン入りしたので、
9月号発売日は7月23日。この記事を作る時点では、まだヒットしていなかった頃ですね。
でも、聖子ちゃんブームの兆しは見えていたと思います。
その聖子が、故郷の久留米に凱旋した様子を、レポートしています。
子供の頃の、オテンバな性格。ガキンチョのリーダーで、小学3・4年の時は学級委員もやった
聖子の性格は、リーダーシップを取るのにピッタリで、スーパーアイドルになった後は、
自ら仕事のリーダーシップを取るようになって行きました。
[76] 名前:名無しさん :2020/04/13 (月) 23:18:01 No.4234
4234.jpg (176KB)
月刊明星の80年9月号の、口絵のポロシャツ姿です。

(75の続き)
当時の女子の憧れの職業は、スチュワーデス。70年代は、「アテンション・プリーズ」、
80年代は「スチュワーデス物語」の影響も大きかった事でしょう。
聖子も例外ではありませんでした。そのために勉強した英語が、歌手になってから役立っています。
「ノリッペの1組が静かん時は、あ、あいつ学校や住んどるんや、とわかったわ。」
中学の同窓生の言葉から、如何に毎日、教室で歌っていたかが、分かります。
[77] 名前:名無しさん :2020/05/01 (金) 03:14:32 No.4335
4335.jpg (488KB)
月刊明星の80年9月号の、3ページ目です。
「ミス・セブンティーン」の全国大会出場に、猛反対した父。
お役人のカタイ家系なので、優勝する・しないに関わらず、全国大会に出場して、
近所で、娘が芸能界入りを目指しているという目で見られるのが、嫌だったのでしょう。
70年代は、確かに世間では、芸能界に対し汚いイメージがありました。
松田聖子が大ヒットを連発し、爽やかなイメージが浸透していって、
82年組以降のアイドルは、「どうせ落ちるだろうから、受けてもいい」と、
オーディションを受ける時点では、親が同意するようになりました。
法子(聖子の本名)や、レコード会社の説得にとうとう陥落した父は、
法子が上京する時に、一緒について行った、娘思いの父親でもありました。
[78] 名前:名無しさん :2020/05/19 (火) 02:53:05 No.4441
4441.jpg (286KB)
4・5に載せた、「ザ・ベストテン2004」のムック本から、
2ndシングル「青い珊瑚礁」の歌唱シーンです。
ザ・ベストテンでは、「青い珊瑚礁」は、8月14日に8位で初ランクインしてから、
→5位→5位→4位→2位とランクアップしていき、6週目の9月18日から
3週間1位をキープします。2週目の1位の時に、引退する山口百恵が最後の出演をし、
聖子に「これからも頑張って下さい」とメッセージをしました。
新旧アイドル交代を印象付けるシーンになりました。
  竹島は日本の領土です。同意ならチェックを入れてください
投稿前に必ずここを読んで下さい
お名前
E-Mail
コメント
添付File
 
動画 コメントスペースにURLをコピペするだけです(YouTube,ニコ動に対応)