本田美奈子

[1] 名前:名無しさん :2019/04/12 (金) 19:51:43 No.2514
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平凡パンチの86年1月20日号の、5ページ目です。
歌手としては、アイドルよりアーティストを目指していた美奈子ですが、
雑誌グラビアでは、85〜86年にかけて、
素晴らしいスタイルを、水着グラビアで見せてくれました。
[2] 名前:名無しさん :2019/04/18 (木) 21:49:54 No.2551
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2000年4月25日発行の、20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、
本田美奈子の1ページ目の右上です。下に、プロフィールが載っています。
白血病によって他界したのは、2005年11月6日なので、プロフィールには書いてありません。
「本田美奈子.」と改名したのも2004年なので、改名前の名前になっています。
[3] 名前:名無しさん :2019/04/23 (火) 20:38:53 No.2582
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20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、1ページ目の左上です。
これは、5thシングル「1986年のマリリン」で大ブレイクし、
アーティスト宣言した頃でしょうか。
アイドルっぽい服よりも、ラフなファッションが似合います。
[4] 名前:名無しさん :2019/04/29 (月) 00:50:20 No.2612
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20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、1ページ目の右中央です。
5のようなアーティストっぽいファッションよりも、アイドル誌では可愛い格好や表情が目立ちます。
元々顔が可愛いから当然なのでしょう。
[5] 名前:名無しさん :2019/05/04 (土) 23:19:31 No.2649
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20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、1ページ目の右下です。
パジャマスタイルで、寝る前?の美奈子です。
聖子のぶりっ子ファッションでスタートした80年代アイドル界ですが、
菊池桃子のカジュアルファション以降、TPOに適した普段着を如何に可愛く着こなせるかが、
トップアイドルの条件のひとつとなりました。
[6] 名前:名無しさん :2019/05/11 (土) 00:38:49 No.2685
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20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、1ページ目の左下です。
これも、86年のアーティスト宣言より前だと思います。

82年、中学3年になった時にスター誕生を受け、決戦大会まで進出しましたが、残念ながら落選した
工藤美奈子(本名)。82年からスター誕生は、審査員を総入れ替えし、歌だけではなく
演技やバラエティ的要素も加味した採点に変わっていたので、工藤美奈子は落選し、
同じ決戦大会で松本明子が同格したのかも知れません。同じ回では、徳永英明も落選組です。
スター誕生の決戦大会にはボンド企画もいましたが、プラカードを上げず、翌83年に、
少女隊のメンバーを探していたボンド企画が、工藤美奈子をスカウトし、歌が上手いので
ソロ・デビューさせます。82年は、松本伊代の売り出しに忙しく、
余力がなかったのかも知れません。なお、苗字を「本田」に変えたのは、本名のままだと、
4ヶ月早くデビューした工藤夕貴と、苗字が同じになるからでしょう。
[7] 名前:名無しさん :2019/05/18 (土) 00:18:27 No.2725
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20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、2ページ目の右上です。

デビューした85年のシングルでは、やはり4th「Temptation(誘惑)」が一番好きでした。
新人賞レースでも歌っていたので、知っている人も多いでしょう。
初のオリコンベストテン入りを果たした曲でもあります。
デビューシングルを決める際は、2nd「好きと言いなさい」が、
当初デビューシングルの予定でしたが、典型的なアイドルソングの 「好きと言いなさい」よりも、
本田美奈子のストロング・ボイスが活かせる「殺意のバカンス」を、本人が強く希望し、
デビューシングルになりました。大人が聴ける歌謡曲(演歌ではなく)が、
少なくなっていたこの頃、新人がいきなりデビューシングルで、
大人が聴ける歌謡曲を歌っていて、当時としては異色だった記憶があります。
なおキャッチフレーズは、「好きと言いなさい」が残りました。
[8] 名前:名無しさん :2019/05/26 (日) 00:49:03 No.2766
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20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、2ページ目の右の上から2番目です。

4thシングルの「1986年のマリリン」で大ブレイクした美奈子。
この曲から有名なヘソ出しルックが始まりますが、その衣装はマドンナの衣装を元に、
美奈子自身がアイディアを出したものです。そして「私は、アイドルと呼ばれるより、
アーティストと呼ばれたい。」と、アーティスト宣言をします。
今でこそ、歌手=アーティストという呼び方が定着していますが、当時は、
アーティスト=シンガー・ソング・ライターで、自ら作詞・作曲出来る人だけでした。
そんな時代におけるアーティスト宣言は、賛否両論を生みます。
折しも、おニャン子クラブが全盛期を迎え、それに対する従来のアイドルの立場を
宣言したようなキョンキョンの「なんてったってアイドル」が大ヒットした直後。
美奈子のアーティスト宣言と、岡田有希子の自殺によって、
80年代アイドル全盛期が曲がり角を迎えたと思います。
[9] 名前:名無しさん :2019/06/02 (日) 00:05:00 No.2801
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20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、2ページ目の左上です。

5thシングルの「1986年のマリリン」がオリコン3位(8で書いた4thは間違いでした。)
となり、トップアイドルの仲間入りをした美奈子は、6thの「Sosotte」もオリコン3位、
7th「HELP」はオリコン2位、8th「the Cross -愛の十字架-」はオリコン5位と推移しました。
87年は、9th「Oneway Generation」がオリコン2位、11th「HEART BREAK」がオリコン3位、
12th「孤独なハリケーン」がオリコン2位、13th「悲しみSWING」がオリコン3位と、
大ヒットを続ける中、10thシングル「CRAZY NIGHTS」だけがオリコン10位と低迷します。
美奈子のシングルでは一番好きな曲で、ドラマ主題歌として大ヒットした「Oneway Generation」
の後、髪をバッサリ切り、自由奔放に歌い踊る美奈子を見て、これは初の1位になるかもと、
期待しました。その結果が10位とは。同じ日(4月22日)にリリースされた松田聖子の復帰作
「Strawberry Time」が1位になるための、ソニー側の陰謀かと勘ぐったりして。
後になって原因が、12インチシングルだったためだと分かりましたが、
なぜ1位を狙える絶好の機会なのに、12インチシングルにしたのでしょう。
[10] 名前:名無しさん :2019/06/10 (月) 00:58:41 No.2837
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20世紀アイドルスター大全集・80年代編から、2ページ目の下です。

9で書いたように、13thシングルまで順調に大ヒットを飛ばし続けた美奈子ですが、
88年に入ると、ガールズ・ロックバンド「MINAKO with WILD CATS」を結成します。
7月のデビューシングル「あなたと、熱帯」を皮切りに、3枚のシングル、
2枚のアルバムをリリースしますが、いずれも87年までのソロ時代のセールスには
遠く及びませんでした。 同じ88年の2月には、菊池桃子もロックバンド「ラ・ムー」を
結成します。アイドルの王道を歩んでいた菊池桃子のロックバンド結成には、違和感がありましたが、
アーティスト宣言していた美奈子のロックバンド結成は、当然の流れに見えました。
しかし、結果は両者ともセールス的に伸び悩み、1年半弱で両者とも解散します。
人気グループにいたアイドルが、ソロデビューしても成功する例は多くありますが、
ソロとして安定した人気を誇っていたアイドルが、グループを結成して成功した例はなく、
美奈子も菊池桃子も、例外には成りえませんでした。
[11] 名前:名無しさん :2019/06/20 (木) 00:00:15 No.2882
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スーパー写真塾の85年8月号から、素人が撮った写真です。
美奈子の方も素人に見えるような、素朴な表情です。

「MINAKO with WILD CATS」解散後は、ソロに戻り、89年「7th Bird "愛に恋"」、
90年「SHANGRI-LA」の2曲のシングルをリリースしますが、いずれもヒットせず。
この頃が一番苦しかったと、後に述懐しています。
「SHANGRI-LA」は大好きな曲で、「MINAKO with WILD CATS」結成前にリリースしていたら、
ヒットしていたと思います。激しくジャンプして踊りながら歌う姿からは、余裕が感じられ、
大ヒットを連発していた頃より、歌唱力は格段の進歩を遂げていました。
(87年の「孤独なハリケーン」は、ストロングボイスを強調しすぎて、
 やや無理をしている感じがありました。)
[12] 名前:名無しさん :2019/06/28 (金) 22:08:36 No.2925
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スーパー写真塾の85年8月号から、素人が撮った写真(その2)です。

歌手としての仕事に行き詰まっていた美奈子は、ミュージカル「ミス・サイゴン」が
全編歌で構成されたミュージカルである事を知ると、90年のオーディションに参加し、
1万数千名の応募者の中から、見事に合格。何と1年半のロングランを努めます。
その間、他に全ての仕事をキャンセルし、喉に負担がかからないよう、
日常会話を筆談で行うという徹底ぶりでした。
[13] 名前:名無しさん :2019/07/10 (水) 19:19:29 No.2976
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BOMBの85年3月号の、1ページ目です。
「この間、そういう質問(イヤラシイ質問)にズバズバ答えて事務所に怒られたから、
 今回はノーコメント。」自称「明るくてドジな女の子」美奈子の性格は、サバサバしています。
同時期に堀越に転校してきたクラスメートのナンノが、仕事が無くて困っている時、
自分のテレビ局の挨拶回りに、付いてくるようにナンノを誘い、
助かったと後にナンノが言っていました。
[14] 名前:名無しさん :2019/07/10 (水) 19:21:12 No.2977
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BOMBの85年3月号の、2ページ目です。

(13の続き)
「和田アキ子さんのようなパンチがきいて歌唱力のある歌手になりたい。」
デビュー前から、目標がアイドルではない事を断言しています。
[15] 名前:名無しさん :2019/07/25 (木) 23:01:43 No.3048
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DUNKの85年8月号から、2ndシングル「好きと言いなさい」の広告です。
当初はデビュー曲としてリリースされる予定だった曲のためか、何パターンも広告があります。

ミュージカル「ミス・サイゴン」の大成功を受けて、90年代はミュージカル女優として
大活躍した美奈子。2000年代に入ると、クラシックの楽曲を歌うようにもなり、
ザ・ベストテンの特番で、アカペラで声量ゆたかな歌声を聴かせ、他の出演者を驚かせました。
[16] 名前:名無しさん :2019/08/11 (日) 23:45:34 No.3116
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こちらはGOROの85年6月12日号に載っていた、2ndシングル「好きと言いなさい」の
広告です。雑誌の読者層によって、広告を使い分けていたのかも知れません。

ミュージカル女優として、クラシックを歌う歌手として、
トップスターの座まで上り詰めていた美奈子。
そんな彼女がデビュー20周年を迎え、仕事がびっしり埋まっていた2005年初め、
病魔に侵されます。病名は白血病。当時、既に白血病は100%死に至る病気ではなく、
かなりの確率で治癒する病気でした。俳優の渡辺謙、グラドルの吉井怜も完治しています。
美奈子も、同年夏には一時退院する記事をスポーツ新聞で読んでいたので、
治ると世間一般も思っていた事でしょう。ところが....
[17] 名前:名無しさん :2019/08/28 (水) 23:49:12 No.3203
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アクションカメラの85年9月号の裏表紙に載っていた、
2ndシングル「好きと言いなさい」の広告です。
こちらは、DUNKに載っていたバージョンに、似ている感じです。

白血病が悪化して再入院した美奈子は、2005年11月6日、帰らぬ人となってしまいました。
美奈子の闘病生活は、すぐに2時間のドキュメンタリーがゴールデンタイムで放送され、
翌年も1時間半のドキュメンタリーが放送されているので、見た方も多いでしょう。
80年代アイドルの中では、最も歌が上手く、向上心も最高だっただけに、残念です。
親友の南野陽子が、「こんなに歌の上手い美奈子が帰らぬ人となり、歌が下手が自分が
生きているなんて、神様は不公平だ。」と言いながら、涙を流している姿が、印象的でした。

これで、しゃんばらの最後のスレ(何度も落ちた)に貼った画像は終わりです。
次回からは、新規画像を貼っていく予定です。
[18] 名前:名無しさん :2019/09/13 (金) 23:19:25 No.3272
3272.jpg (485KB)
2004年12月20日発行の「ザ・ベストテン2004」のムック本に、
「ザ・ベストテン」に出演した当時の事を語ったインタビューが載っています。
インタビュー自体は2ページ目になります。
このムック本が発行された1ヶ月後には、白血病で入院したので、
貴重なインタビューになりました。
[19] 名前:名無しさん :2019/09/30 (月) 01:19:12 No.3353
3353.jpg (494KB)
「ザ・ベストテン2004」の、インタビュー・ページです。
ザ・ベストテンにランク・インした頃から、自分で衣装デザインをし、
アーティスト宣言をします。アーティスト宣言に真意は、ここで語られている通りです。
「歌の実力で人を感動させたい」という思いと、ザ・ベストテンで1位を取れなかった悔しさから、
今まで歌い続けてこられた。と語っています。
「その分、これからの人生で一等賞を取りたいなって思います。」
白血病で入院する直前のインタビューなのが、心を打ちます。
闘病生活も、この目標に向かって闘っていたのでしょう。
[20] 名前:名無しさん :2019/10/14 (月) 00:30:05 No.3432
3432.jpg (490KB)
平凡パンチの85年4月1日号からのカットです。
白黒とはいえ、BOMBやDUNKのようなアイドル誌より、
男性誌の平凡パンチの方が、早く美奈子を載せているとは、ちょっと意外です。
歌手活動だけではなく、グラビア活動も多かった初期の美奈子らしい感じもしますが。
[21] 名前:名無しさん :2019/11/07 (木) 00:50:40 No.3521
3521.jpg (344KB)
ベッピンの85年4月号から、アイドル水泳大会の時のカットです。
「ほっそりしているのは伊代ちゃんに似ているが、一箇所決定的違いがある。
 胸が大きいんですよ。ウヒョ!」
美奈子の胸は、普通の大きさですが、身体が細いので、相対的に大きく見えるのでしょう。
ボンド企画は、岡田奈々・大場久美子・松本伊代・本田美奈子と、身体が細いアイドルを
たくさん育てました。ペチャパイは、岡田奈々と松本伊代で、大場久美子と本田美奈子は、
身体が細いわりには、胸が大きかった印象です。
(少女隊と新田恵利は、興味がないので良く分かりません。ファンの方、ゴメン。)
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