荻野目洋子

[1] 名前:名無しさん :2019/05/30 (木) 23:52:46 No.2785
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以前ハリコに貼った画像の、レタッチ版を中心に載せて行きます。
これは、BOMBの85年1月号の、2ページ目です。
落ち着いた色のチェックの服が、良く似合うので、スレ画にしました。
ステージ衣装は派手でも、それ以外は地味な服が似合う事が、
真面目で努力家の荻野目ちゃんの性格を体現していると思います。

[11] 名前:名無しさん :2019/06/24 (月) 23:25:31 No.2901
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BOMBの84年12月号の、5ページ目です。
1stシングル「未来航海」から聞かせてくれた、クリアで、高音が一直線に伸びていく歌声。
こんな華奢な身体の何処に、そんなパワフルな歌声が詰まっているのでしょう。

去年の夏には、NHKの夏恒例の「思い出のメロディー」に、
84年の同期デビューで同じ「洋子」という名前の長山洋子と共演していました。
堀越高校の1年先輩になります。「みるく」結成前の小学校高学年の頃から、
のど自慢の子供版のようなイベントでは、良く一緒になったそうで、その頃からの知り合いです。
[12] 名前:名無しさん :2019/06/24 (月) 23:28:54 No.2902
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BOMBの84年12月号の、6〜7ページ目です。
高音が一直線に伸びていく歌声同様、正統派アイドルフェイスの大きな瞳で、
カメラの方を一直線に見つめています。真っ直ぐで、純粋無垢な心が表れています。

二人ともデビュー時には大ヒットには恵まれず、85年末リリースの7曲目
「ダンシング・ヒーロー」で荻野目ちゃんが、
その1年後には8曲目「ヴィーナス」で長山洋子がブレイクしました。
奇しくも両方とも洋楽のカバー曲でした。その2曲を歌い、番組の終盤には、
同じく洋楽のカバー曲「愛が止まらない」でブレイクしたWinkが、再結成して歌っていました。
80年代後半が、甦った気分になりました。
[13] 名前:名無しさん :2019/06/24 (月) 23:31:13 No.2903
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BOMBの84年12月号の、8ページ目です。
真っ直ぐな心が、沖縄の離島に行って解放された気持ちを、素直に表現したモノローグです。
「撮影の合間に、シュノーケルをつけて泳いでみました。」
この時の楽しさが忘れられなかったためか、
後にスキューバ・ダイビングの資格を取り、潜っているそうです。
仲良しの先輩キョンキョンは、資格を取るのが面倒臭く、未だにシュノーケルのままです。
[14] 名前:名無しさん :2019/06/24 (月) 23:41:06 No.2904
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BOMBの84年12月号の、9ページ目です。
デビュー時は、「荻野目慶子の妹」として紹介されていましたが、
翌年末、7thシングル「ダンシング・ヒーロー」の大ヒットによって、
姉の方が、「荻野目洋子の姉」と言われるようになりました。
[15] 名前:名無しさん :2019/06/24 (月) 23:44:03 No.2905
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デラックスマガジンの84年3月号から、歌手デビュー前の初々しい姿です。
髪の長さも、ショートカットにする前です。
「一大旋風を巻き起こすかもね。」
ダンシングヒーロー以降、本当に一大旋風を巻き起こしました。
[16] 名前:名無しさん :2019/07/02 (火) 23:58:37 No.2938
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BOMBの84年12月号の、10ページ目です。
84年は、キョンキョンが広めたショートカットブームにより、
長らくアイドル界の主流だった聖子ちゃんカットが一掃されました。
そんな中で、キョンキョン以外では、ショートカットが最も似合うと思います。
二人は、仲の良い先輩・後輩でした。
[17] 名前:名無しさん :2019/07/03 (水) 00:01:34 No.2939
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BOMBの84年12月号の、11ページ目です。
デビュー前に、初コンサートを経験しているとは、恵まれたデビューでした。
なお、ソロ・デビュー前の小学生の頃、MILKというグループで歌っていた事は、
後のページに書いてあります。
[18] 名前:名無しさん :2019/07/03 (水) 00:07:43 No.2940
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アイドル黄金時代大名鑑(2002年3月25日発売)から、荻野目洋子に対する評価記事です。
デビュー曲「未来航海」については、全く同意見です。
本当は、2日前にデビューした長山洋子と区別するためだったんでしょうが、
荻野目ちゃんと呼んだ理由も、納得してしまいます。
[19] 名前:名無しさん :2019/07/03 (水) 00:10:37 No.2941
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2000年4月25日発売の20世紀アイドルスター大全集〜80年代編から、
荻野目洋子の1ページ目の右上です。

(18の続き)
「哀愁を感じさせる泣き声なのに、そう感じさせないストレートな伸びの良さに、
何もかも忘れてハイになれるような麻薬性がある。」
だからこそ、荻野目洋子の曲は、ドライブに最適でした。ダンシングヒーロー以降、
私の周りでは、みんな車の中のカセットに、荻野目洋子の曲がありました。
6tアルバム「NON-STOPPER」が、年間売上1位になるのも、当然でしょう。
[20] 名前:名無しさん :2019/07/03 (水) 00:13:39 No.2942
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20世紀アイドルスター大全集〜80年代編から、1ページ目の左上です。

(18の更に続き)
近年のダンシングヒーローの再ブレイクから、荻野目ちゃんの曲の魅力が、
現代でも通じる事を証明しました。
アイドルが歌う時の振り付けが、踊りに変わるきっかけになった曲でもあります。
5th「恋してカリビアン」に、「幼くも楽しく青春している楽曲」が垣間見える感じがします。
[21] 名前:名無しさん :2019/07/16 (火) 00:39:06 No.3006
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BOMBの84年12月号の、12ページ目(小堺一機との対談その1)です。
対談が4ページあるのは、他の巻頭特集と同じですが、最初の方にあるのは珍しいです。
千葉出身で、「メチャクチャバカにされちゃう」のは、
この頃タモリが、埼玉や千葉をダサイと言っていたからでしょう。
[22] 名前:名無しさん :2019/07/30 (火) 01:19:59 No.3067
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BOMBの84年12月号の、13ページ目(小堺一機との対談その2)です。
80年代アイドルの顔は、サル顔とネコ顔が好きでした。
[23] 名前:名無しさん :2019/08/15 (木) 21:25:05 No.3134
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BOMBの84年12月号の、14ページ目(小堺一機との対談その3)です。
「プロフィールには、公表していい事しか書いてない。」正直にバラしています。
悩み事を相談されるタイプでしたが、慎重な答え方に、人柄が出ています。
「結婚するなら30代後半か40代って思ってますね。」
実際には、32歳で結婚。予想より少し早かったですが、結婚後しばらく、
育児に専念していたのは、「不器用で、奥さん生活しか出来ない。」と言っていた通りです。
[24] 名前:名無しさん :2019/09/01 (日) 23:51:21 No.3223
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BOMBの84年12月号の、15ページ目(小堺一機との対談その4)です。
「小さい頃から、自然の中で住む事が出来たから。」
8年前に、極上空間というBSの番組で、故郷の千葉県佐倉市を、
西村知美とドライブしていました。
録画していたので、最近、見直しました。確かに、山や川に囲まれた場所でした。
アイドルとして多忙な頃、顔に肌荒れが出来て、三浦(山口)百恵から、
肌荒れに効く漢方薬について、手紙をもらった話等、興味深いトークでした。
[25] 名前:名無しさん :2019/09/16 (月) 21:53:43 No.3285
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20世紀アイドルスター大全集〜80年代編から、1ページ目の右下です。
後ろ髪がまだ長いので、デビュー曲「未来航海」(84年4月3日リリース)を
歌っている頃でしょう。
初ビキニは、8に書いてあるようにBOMBの84年12月号ですが、
ワンピース水着なら、デビューの頃から着ています。
[26] 名前:名無しさん :2019/09/16 (月) 21:57:38 No.3286
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20世紀アイドルスター大全集〜80年代編から、1ページ目の左中央です。
レオタード姿なので、ダンス・レッスンでしょうか。
7thシングル「ダンシング・ヒーロー」をテレビで歌う時、それまで踊りの激しい曲は、
歌った事がなかったにも関わらず、「ダンシング・ヒーロー」の激しい踊りをレッスンする時間が
あまり取れなかったため、テレビで歌う時は、冷や汗の連続だったそうです。
しかし、その甲斐あって「ダンシング・ヒーロー」が大ヒットし、
トップアイドルの仲間入りをします。
[27] 名前:名無しさん :2019/09/16 (月) 22:01:46 No.3287
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20世紀アイドルスター大全集〜80年代編から、1ページ目の左下です。
「ハートは真っ直ぐ」のキャッチフレーズ通り、弓の的を真っ直ぐ見つめているのでしょう。
荻野目ちゃんは、アイドルになる気はなく、歌手になりたくて芸能界入りしましたが、
デビューした時期がアイドル全盛期だったので、アイドル扱いされました。
それでも文句ひとつ言わずに、歌を歌えないバラエティ番組や、水着などのグラビア撮影を
こなしていたのは、やはり「ハートは真っ直ぐ」のキャッチフレーズ通り、
性格が良いからなのでしょう。
[28] 名前:名無しさん :2019/09/16 (月) 22:04:57 No.3288
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20世紀アイドルスター大全集〜80年代編から、2ページ目の右上です。
「アイドル時代からその資質はほの見えていた」と書いてありますが、
それは、「ダンシング・ヒーロー」が大ヒットしてからで、
デビュー当時のこのカットからは、ほの見えませんね。
アイドルになりたかった訳ではなく、純粋に歌手になりたかった荻野目ちゃんですが、
デビュー当時の84年は、アイドル全盛期。
周りを見ると、自分と同じ新人達(桃子やユッコ等でしょう)が、お人形さんのように可愛い笑顔を
作っていて、自分はなかなか可愛い笑顔が出来ず、みんな上手いなあと思っていたそうです。
[29] 名前:名無しさん :2019/10/02 (水) 01:18:41 No.3366
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BOMBの84年12月号の、16ページ目(幼少時代その1)です。
兄の証言で、「ケンカでは、洋子が先に手を出す。彼女の武器はひっかくことで、先手必勝。」
が面白いです。必死に反論する本人も面白い。
[30] 名前:名無しさん :2019/10/15 (火) 00:46:06 No.3446
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BOMBの84年12月号の、16ページ目(幼少時代その2)です。
グレープの「精霊流し」がヒットいていた頃は、まだ5歳か6歳。
ちょっとどころか、相当オマセでした。
[31] 名前:名無しさん :2019/11/10 (日) 01:34:01 No.3533
3533.jpg (488KB)
BOMBの84年12月号の、17ページ目(小学校時代その1)です。
小学校4年(9歳)で、「プレイバックPART2」をテレビで歌うのだから、
歌の上手さは、天性のものだったのでしょう。
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