死後考

[1] 名前:名無しさん :2013/01/01 (火) 14:45 No.128
128.jpg (55KB)
仮定に仮定を重ねて考えてみる。
[2] 名前:名無しさん :2013/01/01 (火) 14:51 No.129
人は死後どうなるのだろうか。
肉体(物質)的な行方はわかる。
焼かれるもしくは埋められるして分解され、自然の一部に還っていくだけだ。


『仮に精神的な構成要素がある』として、精神(非物質)的な行方はどうだろうか。
[3] 名前:名無しさん :2013/01/01 (火) 14:56 No.130
その「精神(非物質)的な構成要素」を仮に『我霊』と称する。
これは、いわゆる生命活動を行う人体に同居し、精神活動を行う根源として存在するものだと仮定する。
[4] 名前:名無しさん :2013/01/01 (火) 14:58 No.131
『我霊』の根本的性質。
人間が産まれる前後にその個体に同居し、肉体の死と共にそこから離別する非物質的存在。
人間的精神活動の根源として存在する。
[5] 名前:名無しさん :2013/01/01 (火) 15:18 No.132
『我霊』に対して人間一個の肉体を『我体』と仮に称す。
『我霊』ひとつに対し『我体』一つ。
互いが互いに存在を依存し、片方だけでは存在しえないと仮定する。

簡単なイメージ。
空中に浮かぶゴム風船を想像する。
ゴム風船のゴム部分が『我体』、空気部分が『我霊』と考える。
ゴム風船が空中に浮かぶ、つまり「生命活動を行う」溜めには、ゴムである『我体』が必要不可欠である。
これは周囲と『我』を区別するための物理的境界である。
同様に、ゴムの中に充填される空気つまり『我霊』が同様に必要不可欠である。
空気が無ければゴム風船はみすぼらしく地面に捨てられたまま何もできない。

『我体』がある事で『我霊』が個として他と区別する事が出来、
『我霊』がある事で『我体』は個として確立できるのである。
[6] 名前:名無しさん :2013/01/01 (火) 15:21 No.133
『我体』の肉体的特性に内部の『我霊』が影響される事も当然あり得る。
しかし、『我体』のその存在のありようを決めるのはあくまでも『我霊』の形状である。
『我霊』の動き、形状が制約ある『我体』の外からも見て取れる。
一人一人の個性とはその差なのである。
[7] 名前:名無しさん :2013/01/01 (火) 15:26 No.134
さて、人間が死ぬと言う事は、その『我体』が破損・損壊する事だと言えよう。
と言う事はその『我霊』も当然の如く破損・損壊するのだろうか?
そしてそれは肉体の損壊と同時であり回復不可能なのであろうか?
それについて考察してみたい。
[8] 名前:名無しさん :2013/01/01 (火) 16:45 No.135

まあーーーた
正月早々 縁起でもねえスレ立てる 
しょーもないヤツがいるもんだな^^;
[9] 名前:名無しさん :2013/01/01 (火) 17:44 No.136
死んだら無になるだけじゃないの?
デスノートでライトがそう言ってた。
[10] 名前:名無しさん :2013/01/03 (木) 12:05 No.137
>>8
>縁起でもねえ

これ自体オカルトw
[11] 名前:名無しさん :2013/07/25 (木) 01:18:23 No.160
負った責任は必ず清算させられる。それが全て今の生で消化出来るとは限らない。だからこそ不利な事がある程生まれ変わりはある。そこに神や仏が関わるかは知らないが。
[12] 名前:名無しさん :2013/11/30 (土) 13:38:31 No.182
死後の世界があると言う奴は全員死んでない。
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